南丹市立文化博物館だより-20号

南丹市立文化博物館だより-20号

「大塚春嶺展」
展示会回顧録2023
学芸員ノート「由良川・大堰川通舟計画」
どきタマちゃん [12回]

文化博物館だより

 大塚春嶺は明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家です。文久元年(1861)12 月、船井郡園部村(現南丹市園部町小桜町・美園町・栄町)に、小林源助の長男として生まれました。本名は勝之助。幼少期から絵に長じていた彼は、やがて四条円山派の画家である大阪の深田直城に師事してその画法を学び、ついで幸野楳嶺の弟子1[で、菊池芳文、竹内栖鳳、都路華香とともに楳嶺門下の四天王と呼ばれた谷口香嬌の門に入り、歴史画の手法を極めました。

 明治27年(1894)頃から絵画共進会などに出品し、入賞を記録、翌年の内国勧業博覧会では《女官弾琴》が

二等褒状を得ています。その後、歴史風俗画展覧会や日本美術協会などにも出品入賞した記録が残っています。

大正以降は、徐々に画壇から離れ、注文に応じて画を描く職業画人としての生活を送りました。そして、昭和8 年(1933)年、二男勝三に家督を譲り、大阪から園部へ帰郷し能や狂言を題材とした作品を多く描きました。昭和19年(1944)、享年84歳で没しました。

 本展では、没後80年を機に数々の作品から、伝統的な歴史画の中で挑戦を続けた春嶺の足跡を振り返るとともに、これまで詳しく取り上げられてこなかった物語絵についても紹介します。

博物館たより20号-2

 今年開館25周年を迎えた南丹市立文化博物館では、春・夏・秋・冬の合計4 回の展示会を開催しました。

 春季特別展として、南丹市八木町出身の画家である國府克氏の画業を紹介した「國府克展ー山の魅力に惹かれてー」(開催期間i〔前期〕令和5 年2 月21日〜3 月26日、〔後期〕3 月31日〜5 月7 日)を開催しました。

 本展では約120 点の作品をはじめ、スケッチブックや素描などから園府克氏の約60年にわたる画業に迫りました。國府氏の手掛ける作品は、広大な原野や荘厳な山々、そこで営まれる人々暮らしの情景など、様々なものがモチーフとなっています。特にエベレストなど世界有数の山岳に取材した作品は、写実的な描写で山々の圧倒的な生命力が表現されており、富士山をはじめとした名だたる名峰がずらりと並ぶ様は、圧巻の一言でした。

 夏季企画展としては、南丹市域に出された法令から当時の人々の暮らしに迫る「人々のくらしと法令」(開催期間:8 月5日〜9 月24日)を開催しました。

 前近代の法令は地域の実情を踏まえた上で出されるものが多く見られ、これらを丹念に読み込むことで当時の人々の暮らしを復元することができます。江戸時代に南丹市域の大部分を治めた園部藩からの通達などが書き留められた「園部村諸用日記」には、漁師ではない者がアユを獲ることを禁じた法令が見られますが、これはアユが商品としての価値を有していたため、多くの人々が狩猟を行っていたことを感じることができます。このような法令などが記された文献を中心とする全39点の展示資料は、遠い先人の日常を物語るようでした。

 秋季特別展は、「大堰川と由良川の水運ー川と人々のくらしー」(開催期間:10月21日〜12月3 日)を開催しました。

 南丹市を流れる主要な河川である由良川と大堰川(桂川)は、鉄道など陸の交通網が整備されるまで、物資の運搬に大きな役割を果たしていました。その中で今では見ることができない舟運や木材を運ぶ筏流しは、流域の人々にとって農業や林業、川漁とならぶ身近な生業のひとつとなる一方で、河川を利用して大量消費地である京都などへ運ばれた薪などの資源は、都市部の暮らしを支えていたのです。本展では由良川と大堰川の水運に関連する古文書や絵図を展示し、人とモノが行き交った、かつての大動脈の姿を鮮やかに描き出しました。

 冬には収蔵品展として「没後80 年岩崎革也と地域社会」(開催期間令和5 年12月16日〜令和6 年3 月24日)を開催しました。

 現京丹波町にあった須知銀行の頭取や須知町長を務めた岩崎革也は地域の発展に尽力した人物で、金銭や物品の寄附などを通して地域社会に貢献しました。その一方では社会主義に共鳴し、堺利彦や幸徳秋水らと交流を重ね、財政的な援助を行っていました。そのため社会主義関係者から送られた書簡が多く残っています。

 今回の展示ではこれらの書簡などから革也の交友関係をひもとくとともに、地域社会に残された革也の軌跡をたどりました。近代丹波の知られざる偉人を取り上げることによって、郷土への関心を呼び起こす展示となりました。

 

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