[特別展]没後40年 麻田辨自展
令和6年度秋季特別展
麻田辨自展
花鳥の華やかさと風景の静けさ
【会期】令和6年10月26日(土)〜12月8日(日)
麻田辨自(1899-1984)は、南丹市八木町出身の日本画家です。妻・鶴は上村松園の弟子直園、日本画家麻田鷹司、洋画家麻田浩はその息子です。辨自は、大正3年(1914)、富本尋常高等小学校を卒業後、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校、同研究科に進みました。昭和4年(1929)から西村五雲に師事し、五雲の死去後、山口華楊らとともに晨鳥社を創設しました。
在学中の大正10年、第3回帝展に出品した《洋犬哺乳》が初入選し、その後、帝展・新文展・日展などに出品を続けました。昭和25年(1950)、第6回日展で《樹蔭》が特選、同27年、第8回日展では《樹間》が特選・白寿賞を受賞しました。更に、同34年(1959)第2回新日展出品作《風霜》で文部大臣賞を受賞。同39年第7回日展出品作《潮騒》が日本芸術院賞受賞。同49年京都市文化功労者となり、翌年には京都府芸術文化賞功労賞を受賞しました。
また、早くから創作版画も制作し、昭和4年、浅野竹二、徳力富吉郎らと京都創作版画協会を結成しました。辨自は、花鳥画で名を馳せた日本画家として王道を歩みながらも、版画や陶芸など分野を超えた取り組みを展開し、京都画壇において異色の存在でもありました。
本展は、麻田辨自没後40年という節目に開催します。おもな出展先となった日展などの出品作品に加えて、初期から晩年までの創作活動を一堂に集め、辨自の全容を紹介します。
第1章 出品作品を中心に
1-5
麻田辨自『樹下の犬』
昭和初期〜10年頃
南丹市立文化博物館蔵
第2章 草花
辨自が制作した画題から推察しても圧倒的に花の名を冠した作品が多い。彼が花鳥画家と呼ばれる所以である。スケッチブックの中にはおびただしい数の草花が描かれており、昭和16年(1941)に大丸京都店で開催した初めての個展に出品した約12点の内、半数が花を描いたものである。花の中でも、薔薇を題材にしたものが多く、「辨自の薔薇」、「薔薇の辨自」と言われたほどで個展の中には必ず薔薇が含まれるほどであった。特に、親交の深かった洋画家小林和作と昭和36年(1961)に開催した二人展でも見事な《ばら》参考-21を出品している。モチーフとしては、薔薇に次いで多いのが「牡丹」、「梅」、「パンジー」、「菖蒲」などで版画作品に登場するものもある。なかでも、パンジーはさまざまに表現される。《鉛筆のパンジー》no.2-17は鉛筆で描いたスケッチに一部彩色を施しており、旧式にとらわれることなく、自らの表現で制作している。
2-5
麻田辨自 『朝顔図』
昭和10年代後半〜昭和20年代前半
南丹市立文化博物館蔵
第3章 動物・人物
辨自は、動物を好み、作品の中にも馬、犬、鴛鴦、鶏、カエルなどがさまざまな形で登場する。生家では、農耕用の牛や鶏を飼っており、幼少期から動物を眺める環境で育った。学生時代には動物園へ出かけ写生することを日課としており、この頃に描いたものと思われる《獅子》no.3-1や《豹》などの動物画が生家に残されている。
3-10
麻田辨自 『群鶏』
南丹市立文化博物館蔵
第4章 静物
昭和16年(1941)に大丸京都店で開催した初の個展から静物をモチーフにした作品がみられ、昭和30年代後半から50年代前半にかけてその数が急増する。その多くが皿や盆に盛られた果実や魚類であるが、花瓶などの容器に飾られた花を描いたものにも静物の名を冠しており、辨自は静物画に対する一定の考えをもっていたようだ。
サボン、フランスナシ、ブドウなどの果実が銀皿に盛られた作品に対して、辨自は次のように記している。「目の前でがっちりフォルムを組み合わせてみたかった。だから静物をひとつのオブジェとしてみてもらってもよい。鳥はたしかに可愛い動物だし、美しくもある。しかし私は鳥を被写体として扱う場合は単なる美しさや可愛さだけを描こうとはしないばかりか、むしろ鳥を一種の個体として扱っている」。ブドウひとつとっても、いわゆる水々しさや味などといったものではなく、球体が示す総合的な美しさ追い、鳥にしても鳴き声の美しさや表情のあどけなさといった感情を抜き、あくまで形の変化を追求しようとしている。辨自は、静物画を描く時、一般的な日本画家が重視する趣や美意識などといった感情をぬき、すべてのモチーフを塊として取り扱っている。
4-4
麻田辨自 『イカ』
昭和20年代後半
南丹市立文化博物館蔵
第5章 旅
5-7
麻田辨自 『エッフェル塔』
昭和48年(1973)
個人蔵
辨自が静養していたホテルのあった場所は、エッフェル塔の近くであった。本作はブルーを基調に静かな佇まいをみせる。
第6章 創作版画