学芸員ノート(19)文字権左衛門が描いた絵図
学芸員ノート-『博物館だより19号』より
文字権左衛門が描いた絵図
学芸員ノート-博物館だより19号(2003)
文字権左衛門は丹波国桑田郡岩江戸村(南丹市美山町三埜)の庄屋役をつとめた人物で、福知山藩士の古川茂正と篠山藩士の永戸貞著らが計画していた丹波国六郡の地誌である『丹波志』の編纂に協力していました。
権左衛門は明和7年(1770)から安永7年(1778)にかけて、桑田郡北部を中心に船井・何鹿郡の地域を精力的に調査しています。調査に際しては永戸氏から確認して欲しい事項や現地の絵図の作成など、書状で様々な問い合わせがあり、権左衛門は後にそれらの書状を紙継し一書にまとめています。こうした調査のなかで作成された絵図に関しては、丹波国全域、南丹市日吉町周辺地域や山国周辺地域(京都市)など広範囲を描いたものや、中世城郭跡のように対象を限定したものなどバラエティーに富んでいます。しかしながら最も特徴的なこととしては「山」の漢字を多数使用する山地の描き方で、その表現方法は独特のものがあります。
その一方で、村や河川の位置関係などはおおよそ把握して描いているといえ、実際に現地を調査したことが反映されているものと思われます。また、峠の名称なども随所に書き込まれており、絵図の作成年頃における呼称がうかがえて参考となります。
なお、『丹波志』は永戸氏らの死去により完成することはなく、その後の寛政6年(1794)に茂正の子である正路が福知山藩主朽木氏の命により天田・氷上・多紀郡の部分を『丹波志』として全20巻・25冊にまとめましたが、同書には権左衛門の調査成果が盛り込まれていません。しかし、権左衛門は独自に丹波国六郡をそれぞれにまとめた冊子を残しており、それには各村の石高・領主・寺社・遺跡・伝承などが記され、その当時のようすをうかがうことができる貴重なものとなっています。このような権左衛門が残した史料群は、地誌編纂の調査過程で作成されたものであり、先人の郷土史研究を垣間見ることができます。
田貫・佐々江・大谷・田原・世木・しわか・上野・久保・家田村・木住谷・しつみ谷ノ図
安永年間頃(1772 ~ 80)
南丹市蔵
画面上部分から胡麻川・田原川・木住川・中世木川の川筋周辺が描かれ、下部分で大堰川(桂川)へと合流します。赤色の線は道で、描かれている範囲は現在の南丹市日吉町域の大部分となっています。画面の上部中央の「北」と記されている直下には、「ゑび坂道」とあり、海老坂峠が示されています。
山国之図
安永年間頃(1772 ~ 80)
南丹市蔵
絵図裏に「山国之図」と記され、中央の大堰川(桂川)を中心に、下部分の京都市右京区京北下町付近から上部の同市左京区花脊大布施町周辺まで描いています。
[図録]街道
古文書や絵図などの諸資料から南丹地域に所在する街道の歴史や周辺地域の文化を紹介しています。
2022年10月発行/56ページ/275g