南丹市立文化博物館の収蔵品を紹介しています。
絵画資料
絵図は、丹波国や丹後国など旧国域を描いた国絵図、建物の配置や概要を示す見取り図、土地の境界をめぐる争いで作成された争論絵図などがあります。
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園部藩城郭之図
大正2年(1913)に描かれたもので、「廃藩当時廓内之状」とあることから、廃藩となった明治4年(1871)頃の様子を伝えていると考えられる。家臣たちの屋敷地が描かれており興味深い。
丹波州之図
丹波国六郡に所在する村々を郡ごとに色分けし、楕円形の枠内に村名を記す。村ごとに○・△・□の記号を付しているが、これは園部・亀山・篠山藩領であることを示している。また、道は赤色、川は水色で描く。絵図表には明和五年(1768)に書写したこと、絵図裏には正保四年(1647)の丹波国六郡の石高などを記すが、村落の領主関係から、制作年頃の状況を描いていると考えられよう。
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江戸時代
丹波国船井・桑田・何鹿郡領主別色分図
丹波国船井・桑田・何鹿郡の村々を、それぞれの領主ごとに色分けして描かれているが、一番多いのは園部藩主である小出伊勢守を示す赤色である。丹波国での小出氏の所領は、船井・桑田・何鹿郡に限られるので、当図の描き方からは園部藩領を中心としていることが考えられる。このため、藩領図といえるものであるが、制作年代は、大名らの支配地関係や官位名から1700年代後半頃が想定されよう。
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三崇社祭礼等図
三崇社とは、かつて園部城内にあった初代園部藩主小出吉親と、その父吉政・祖父秀政を祀った神社です。図には石碑が描かれていますが、これは秀政の250回忌にあたる嘉永6年(1853)に建てられました。また、この年には社殿再建後の初めての祭礼があり、村役人らの参詣も許可されました。ここに描かれる祭礼は、この時の様子を伝えているものかもしれません。
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明治39年(1906)
園部公園平面図
園部公園の開園式は明治39年(1906)11月2日に、忠魂碑の除幕式と併せて挙行された。当図の発行も同日であるので、それを記念して作成されたと思われる。またその他にも、記念の絵葉書や公園の名所を紹介した『園部公園附船井名所』も発行されている。
嵐山名所図絵附保津川くだり
嵐山・愛宕の名所および保津川下りを紹介したもので、昭和5年(1930)に発行されています。画面中央より嵐山周辺の名所がパノラマで広がっていますが、東方面には富士山も小さく描かれています。この地図を描いた絵師は吉田初三郎で、独特の鳥瞰図を用いる手法は観光パンフレットなどで大変な人気がありました。なお、裏には名所の紹介文があります。
丹波名勝琉璃渓
昭和8年(1933)に琉璃渓保勝会が作成したるり渓の観光パンフレットです。画面の左端には園部駅があり、右に向かってるり渓方面へと鳥瞰図で描かれた風景が展開しています。裏にはるり渓の紹介文とともに、貸切自動車や旅館の案内などが記されており、1日往復3便の乗合自動車も定期運行していたようです。