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文献資料
美園町区有文書
近世期以降の園部村とその後の園部区に伝わった文書群です。現在の住所表記では、園部町美園町・同小桜町・同栄町周辺にあたります。江戸から明治に作成・保管された文書が多数あり、当時の村のすがたなどをうかがうことができます。
- 園部村諸用日記 [美園町区有文書]
- 丹波国船井郡園部村地詰帳 [美園町区有文書]
- 一礼之事 [美園町区有文書]
- 土砂留泊二附諸入用幷献立覚帳 [美園町区有文書]
園部村諸用日記
美園町区有文書に残る史料で全34冊からなる。諸用日記は天保十年(1839) 八月から明治五年(1872)二月までの記述がある。内容は幕府や藩からのお触れや、年貢収納・園部河原での相撲や万歳など、藩政や村政・生活まであらゆる記載がなされている。また、町に関する史料がほとんどないかで、諸用日記には町に関する記述もあるために、非常に重要な史料である。
小出文庫
小出文庫は、藩主小出氏の蔵書および藩校で使用されていたと伝わっている書籍類です。漢籍・和書ともにさまざまな内容の書物があり、その中にじは藩主の自筆本もあります。
- 寂然集 [小出文庫]
- 太医院経験奇効良方大全 [小出文庫]
- 和漢三才図会 [小出文庫]
「藩を被廃県を被置」(藩を廃して県を置く)とあるように、明治4年(1871)7月に行われた廃藩置県を庶民へ伝えたもの。廃藩置県後、知藩事に任命されていた藩主らは罷免され、東京への移住を命じられる。園部藩においても知藩事の小出英尚は東京へ移住、ここに園部藩は終焉を迎えた。
中央集権国家を目指していた明治政府は、米納年貢制度など近世的な制度を徐々に廃止し、こうしたさまざまな新政策を実行していった。
園部初代藩主である吉親の事績を中心に記されており、藩政初期の動向を垣間見ることができる。園部入部直後には宍人の小畠太郎兵衛のもとで仮住まいをしていたことや、園部陣屋の規模、侍屋敷の数、整備した町数やその距離などが記されるほか、櫓を築造しなかった経緯についての記述もみられる。
このような家譜類は南丹市域に複数残っており、地元では一定程度流布していたことがうかがえる。
新政府が徳川慶喜の討伐と、江戸時代が支配していた直轄地を取り上げて政府の領地とすることを庶民に伝えたもの。そうしたなか、山陰道鎮撫総督に任じられた西園寺公望が丹波国に入っており、園部藩は1月7日に恭順している。また、この時期に園部藩では江戸時代から内諾を得ながら大政奉還によって正式に認可されていなかった陣屋から城への改修を新政府を願い出て許可を得ており、混乱した情勢下に城地化を達成している。